イクメンなんてどこにもいない。

長男2歳。教育業界勤務。育休中ですが、イクメンなんてただの幻想です。

#9 保育園帰りに聴いたOfficial髭男dismで泣いた

音楽を聴くとその時によく聴いていた場面が思い出されることがあります。そのまた逆も然りで、音楽を聴くと「ああこれ僕のことだよな…というか僕のためにこの曲はあるんだな」という感覚になることがあります。
曲を作った人は「そんなつもりで作ったわけじゃないけどな…」と思っているかもしれません。けれど、そのような感覚を生み出す曲は人の心にこれからもずっと残る曲とも言えます。

私にとってその曲は『115万キロのフィルム/Official髭男dism』でした。

 

アルバム『エスカパレード』の中の1曲です。

エスカパレード 通常盤

エスカパレード 通常盤

 

子どもを保育園に送りに行った帰りに思わずウルッと来ました。以下詳細を記します。

 

◆そもそもどんな曲?

考察サイトに上手くまとめられていたので、紹介します。

本楽曲のフィルムは「写真フィルム」のことを意味しています。撮影すればするほどフィルムは長くなっていきます。

ここがタイトル解釈のポイントで、「115万キロという長さのフィルム」を作る為には「80年間」撮影を続ける必要があります。

つまり、

●生涯をかけて撮影を続ける

●一生、君のそばにいる

といった主人公の「想い」「誓い」の全てが凝縮されているのです。

【Official髭男dism/115万キロのフィルム】歌詞の意味を解釈!なぜ115万?タイトルの意味が素敵すぎる! | 脳MUSIC 脳LIFE

本来は男性の女性への想いを歌ったラヴソング(って今は言うのでしょうか…)です。映画のストーリーを大切な人と過ごす人生に重ねて歌っている点が特にグッときます。小説を読んでいるかのように聴き手それぞれに物語が想起されていきます。

こういう曲は非常にトリップできて良いですよね。「僕もこんなこと思ってた!」「今まで何となく見過ごしてきた感情はこれだったんだ!」となり、自分のテーマソングになっていく感覚は音楽好きならば誰でも体験している感覚かと思います。

 

◆保育園帰りでの超解釈

保育園帰りでこの曲の中の「君」を「妻」だけでなく、「子ども」も含めた「家族」に何気なく置き換えたら…

泣ける泣ける。。

「日常」こそ幸せなのだ、ということが「非日常」の象徴とも言える映画をモチーフに引き立ってきます。(超解釈であることは重々承知しております…)

具体的に歌詞を挙げてみます。

これから歌う曲の内容は僕の頭の中のこと
主演はもちろん君で
僕は助演で監督でカメラマン
目の奥にあるフィルムで作る映画の話さ Ah

→父親になると、「主演」ではなく、「カメラマン」「監督」のような舞台裏の役割を担うことが多いですよね。その映画は誰に見せるわけでもない、「目の奥にあるフィルム」という自分の家族のためだけの映画になります。

 

ほら、ここで君が笑うシーンが見どころなんだからさ Ah
写真にも映せやしないとても些細なその仕草に

どんな暗いストーリーも覆す瞬間が溢れてる
どれかひとつを切り取って
サムネイルにしようとりあえず今の所は

→些細な子どもや妻の仕草が自分の憂鬱な人生を吹き飛ばしてくれる瞬間はこれまで何度もありました。サムネイルは今もなお更新中です。

 

クランクアップがいつなのか僕らには決められない
だから風に吹かれていこう
フィルムは用意したよ
一生分の長さを ざっと115万キロ

→育児には明確な目標や終わりがありません。子どもの人生は子どもにしか決められないのだから、「風に吹かれていこう」と。「フィルムだけは用意」するぞと。父親としての決意です。

 

さあ、これから生まれる名場面を探しにいこうよ
酸いも甘いも寄り添って
一緒に味わおうフィルムがなくなるまで

撮影を続けようこの命ある限り

→名場面は今までもあるけれど、これからも探しにいこうという期待感。そして家族みんなで命ある限り酸いも甘いも味わおうという曲のラストにふさわしい締め方になっています。

 

子どもができると今までとは違う感じ方・捉え方が生まれると体感した保育園帰りでした。。

※参考

最近、この曲をベースに実写化されているようですね↓

映画『思い、思われ、ふり、ふられ』公式サイト

良い映画には良い曲がつきもの。きっと良い映画のはず…!!